東部サテライトの震災と復興

東部サテライト 清野です。
震災当日、私は出勤ではなかったため、
安川マネージャーに当日のことをお聞きしました。

■直後はパニック状態に
計画停電や災害訓練等は毎年行っていたが、
余りに大きな地震と停電により誰もがパニック状態に陥りそうになった。

冷静さを取り戻し、まず状況確認をした。
おやつの配膳時間などで、安全確認の為の点呼の際
ミルクの配膳者とおやつの配膳者の2名が不在だった。
階段で各病棟に上がり捜したが、おやつ配膳のパートさんが見つからず、
20分後にやっと帰ってきた。
どうやらエレベーターに閉じ込められていたらしい。
地震後、慌てて戻ろうとエレベーターに乗り、途中で止まってしまったと…。
地震の時は、閉じ込められる可能性のあるエレベーターは
絶対に使用しないよう全員に呼びかけた。

■夕食への素早い対応
地震発生時は、夕食の準備の真っ最中。
停電から非常電源に切り替わるまでは
とりあえず冷菜などの盛付を続けながら、
栄養士と調理師で対応を考えた。
パソコンも全て電源が落ちてしまったが、
非常電源で食事オーダーを出す必要最低限のパソコンを復旧させて、
夕食の食札などを作成した。

厨房では、非常電源で使える IHコンロ6台と、ガスコンロ6台のみで
残る主菜、ご飯、お粥を作る決断をし、実行。
配膳車の電源が入らないことと、
ベルトコンベヤーも停止していることから
配膳車にプリセットする方法を選択。

常温でも可能な加熱食品からセットし、
冷菜はギリギリまで冷蔵庫に保管し、その後セットしていった。
しかし、作業の場所が狭いこと、指令系統がしっかりしていなかったこと
があり混乱を招いった。

それでも、病棟には、常温での配膳と遅配膳の了解を得ていたが、
通常より最高でも30分の遅れで済んだ。

■外の状況、そして翌日への不安
夕食をやっとの思いで提供したが、外の状況が全く分からず、
電話も繋がらない状態だった。
皆の安否や、明日以降どうなるのか…という不安がとてつもなくのし掛かってきた。

ただ、そんな不安な状況でも、誰一人として途中で帰ろうとせず、
皆仕事を全うしていたことがとても心強く、逞しく、嬉しく思った。
このまま停電の状態がいつまで続くのか…
1食2食は何とかなるが、先が見えないこの状況で
心構えも準備も不足していることがとても悔やまれた。
幸い、電気は22時頃に復旧し、翌日以降の不安はやや解消された。

■今後に向けて
震災後は、計画停電(東部は除外であったが)、や節電、
食材納入が困難な状態が続き、
その対処能力で不足している部分が浮き彫りになったように感じる。
これは、今後こういった災害でなくとも必要不可欠な力であることに変わりはなく、
今後強化していきたいと思う。

今回の震災で、皆それぞれ色々な思いをしたとは思うが、
皆に共通して言えるのは、被災地の方々を想い、
自分たちのできることを精一杯やろうと強く思っていることだ。

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